がんで闘病中だった、小林麻央さんが6月22日に亡くなりになりました。夫の海老蔵さんは会見で麻央さんのは「愛している」という言葉を残して旅立ったと涙ながらに明かしました。
小林麻央さんは平成26年に乳がんが見つかり、それから闘病生活を続けていました。麻央さんの前向きな姿に多くの方が勇気づけられたのではないでしょうか?
実はわたしの母も「がん」でこの世を去りました。麻央さんの闘病生活は自分自身の経験と重なるものがあり、胸が痛みました。
我が家はがん家系
わたしの母方の家系はことごとく「がん」に悩まされてきました。
まずは「祖母」。
80歳を超えてから末期の胃がんが発覚。
母の1番目の姉
30代の頃に「乳がん」が見つかり左胸を除去。
母の2番目の姉
10代の頃にがんを発症。その後がんが移転し死亡。
母
50代で末期の胃がんである事が発覚。その後がんが移転し死亡。
こう見ると本当にがんに遺伝はあるのだと確信せざるを得ません。更に母方の家系では「女性」ばかりが「がんの標的」となっています。
闘病生活の想い出
わたしは、小林麻央さんの闘病生活をどこか母と重ねて見ていました。
薬で髪が抜け落ちていく、拒食症のようにやせ細っていく姿、まだ死にたくないと必死にもがく姿…
すべてわたしの母親と同じでした。
わたしの母は「娘の成人式が見たい」という強い思いがあり、いつも「あんたたちが成人するまでは死なないからね」と口癖のように呟いていました。
そしてがんであることが発覚し、死ぬまでの3ヶ月間家族の顔を見ると「家に帰りたい」と言っていました。
しかし母や家族の願い虚しく医師の余命宣告通り発覚から3ヶ月で亡くなりました。
小林麻央さんの様子をブログで見ていると、どんどん母や祖母の死に際に近づいているように感じながらも、どうしても助かってほしいと願っていました。どこか母親と重ねていたのかもしれません。
ガン患者の闘病生活は想像を絶するものです。がんが進行するほど体中に痛みが出ます。末期になるとその痛みが1日中続きます。最悪の日は痛さで涙が出るほどの痛みに1日中襲われます。
食事が全く取れなくなり点滴で栄養を取るようになります。そうなる頃には体に肉なんてついていません。体は皮と骨のようになっていました。
死の自覚をする
母親は余命宣告を受けて1ヶ月後に家族には言わずに遺書を書いていました。その時は容体が徐々に悪くなっている頃でした。
母親は「まだ死なない」と口では言いつつも、半分死を覚悟し受け入れていたのかもしれません。
残された子供として
わたしのケースと小林麻央さんの子供達のケースで違う事は、母を亡くした年齢です。わたしは中学生だった時に母に末期がんが見つかり発見後3ヶ月で亡くなりました。
中学生だったわたしは心の成長途中でした。
その時に突然母を亡くし、心のバランスが崩れていきました。
母親との思い出は山ほどありました。良い思い出も、悪い思い出も沢山。
しかし母の死後思い出すのは「後悔」ばかり。もっと親孝行をしたかった、もっと母親の気持ちを分かって上げられたら良かった、自分は何も出来なかった、どうしてあんな事を言ってしまったのだろう…。
「思い出」がある分傷つく事が沢山あります。しかし思い出が無い分心の傷は少ない。ですが共通点として今度きっと「寂しさ」や「恋しさ」に襲われてそれを本当の意味で自分自身で乗り越えなければいけない事です。
「母親のいない生活は当たり前になっている」、「母親がいなくても平気」だと口で言う事は出来ますし思い込む事が出来ます。強がることは誰だって出来る。
しかし心の奥底では母の死や自分の運命を恨んでいる自分がいます。
わたしの心の葛藤は今でも続いています。
自分自身を大切に
がんは早期発見が大切だと言われています。発見が1日でも早い方が良いのです。そのためにがんの定期検診に行くことは本当に大切だと思います。
そして食事。
日本人の食事はとても「塩辛い」事が有名です。普段何気なく食べているお味噌汁や煮物を外国人が食べた時に「塩辛い」と感じる事はご存知ですか?わたしは海外生活を通じて日本食の落とし穴を知ることが出来ました。
日本食はヘルシーですが塩分が高いのです。
日本人の塩分の摂り過ぎが「がん」に繋がっているというデータが出ているそうです。皆さんも塩分の摂り過ぎにはお気を付けください。
最後に
誰かの死を乗り越える事は簡単ではありません。表が有れば裏も有る。自分自身の体験から気丈に振舞っている方こそ心の痛みに押しつぶされそうなのだと感じています。喪失感、後悔、不安…たくさんの感情と向き合わなければならないと思います。
苦しい経験をしたその先にこそ明るい未来があると信じて頑張りましょう。
小林麻央さんご冥福をお祈りいたします。