台湾で飯てろ

台湾&オーストラリア生活まとめ

海外移住と日本に残した家族や友人について

f:id:sia_kawase:20180426131701j:plain

皆様、こんにちは

 

海外生活を始めて約5年を迎えたひかちゅー(@taiwan_hikachu)です。わたしが海外移住を考え始めたのは19歳の春でした。そこから中国やオーストラリア、フィリピンなど様々な国と地域を旅しています。

 

順調に世界の国々を巡っていたひかちゅーさんですが、突然衝撃的な知らせが届きました。それは大好きな父に末期癌が宣告された事です。

 

海外生活、一番の危機は”家族の癌宣告”

19歳から海外移住に向けて海外生活を送っていたわたしですが、23歳の冬までは大きな事件や事故に巻き込まれる事も無く順調にスローライフを楽しんでいました。

 

しかし、台湾で生活をしていた時、危機は突如襲ってきました。

 

それは父が末期癌を宣告され余命が3ヶ月だと発覚した事です。

 

今まで考えてもいなかった家族の病、あまりにも突然の出来事で頭が真っ白になりました。幸いにもオーストラリアから帰国し、台湾に居たため、直ぐに帰国をする事が出来ました。

 

帰国をした頃には父は入院しており、闘病生活が始まっていました。

 

それからわたしは父が亡くなるまでの4か月間毎日病室に通い、一緒に過ごせなかった4年間を埋めようと必死でした。

 

父が家に帰って来たのは一時帰宅が認められた1日のみ、19年間一緒に過ごしてきた家で家族揃って過ごし食卓を囲めたのはたったの1日だけでした。

 

父と過ごせる時間がこんなにも短かったなんて思いも寄らず、沢山の後悔をしました。

 

そして人には寿命があるのだと、時間は限られているのだと強く感じました。

 

海外滞在者の「親孝行」とは?後悔をしないために出来る事

わたしは父が余命宣告を受けるまで、病に気が付く事が出来ませんでした。

 

わたしが父と一緒に暮らしていたのならば、もっと親孝行が出来たはずですし、癌の早期発見が出来たかもしれません。

 

わたしが最後に親孝行を出来たんだと、4年間一緒に過ごせなかった後悔を和らげる事が出来たのは「お父さんは幸せだった」と父や沢山の方に声を掛けてもらえた事でした。

 

わたしは帰国をしてから毎日父の病室に通い、一日付き添い、看病をしました。

 

父と一緒に居たいという思いだけでした。

 

父は弱っていくに連れて本音を口にするようになり、泣きながらお礼を言うようになりました。そして看護師さん、親戚、父の友人から「お父さんは幸せだね」と声を掛けて頂くようになりました。

 

「父は幸せだ」と声を掛けてもらう内に「親孝行が出来なかった」という後悔や申し訳ないという気持ちが「最後に親孝行が出来た」と思えるようになり、気持ちが前向きになりました。

 

親孝行には沢山の形や想いがあるのだと分かりました。家族と寄り添い生活をする事、プレゼントを買ってあげる事、沢山の形があります。

 

そこに看病をする事、最期を看取る事を加えても良いのだと思いました。

 

父が病気で苦しいながらも、娘が居て良かった、一緒に過ごせて幸せだったとわたしが帰国してから寄り添った4か月間に感じてくれているのであれば、わたしは親孝行が出来たんだと少しだけホッとしています。

 

わたしは海外滞在中、自分の生活で精一杯になっており、家族とあまり連絡を取っていませんでした。更に一時帰国をした際は友人と遊びに行くばかりで実家に居る時間はほとんど有りませんでした。

 

身近な存在ほど後回しにしてしまう。

 

海外在住の皆さんはどうでしょうか?

 

両親や兄弟と電話をしていますか?LINEをしていますか?写真を見せてあげていますか?

 

一日の中で数分だけでも良いので毎日家族と連絡を取るだけでも”親孝行””家族孝行”になるのだとわたしは感じています。

 

そして時々手紙を書いてあげるのも素敵ですね。

というのも、わたしは3年前に気まぐれで一度だけ海外から父に手紙を送った事がありました。父はその手紙を大切にしまってくれており、話によると何度も読み返していたようです。

 

大切な人といつ別れが来るのか分からない。

離れて暮らしている分、いつ別れが来ても後悔をしないように普段から出来る限りの事をして家族を大切にしてくださいね。

 

それが家族を安心させられる事はもちろん、自分自身を救う事にもなります。

 

海外移住、日本に残した家族や友人はどうするの?

皆さんは自分自身が海外移住や海外生活をするにあたって、日本に残す家族の事を考えていますか?

 

海外移住や海外生活は一見自分一人の問題ですが、実は家族や友人、これまで自分を支えてくれた人達全ての人が関わっています。

 

わたしは19歳の時に海外移住を考え始め、アジア諸国やオーストラリアで生活をしました。

 

その時は自分の未来の事で頭がいっぱいでした。語学の勉強、住む場所の手配、お金…、海外生活には必ず下準備が必要です。更に行ってからの生活にも沢山の不安が有り、正直家族や友人の事を考えている暇など有りませんでした。

 

家族や友人と会えなくなる、分かってはいたものの一時的なものだと考えていたため、それほど大きく考えていませんでした。更に今はインターネットを通じて電話やメッセージのやり取りが出来るため、増々離れて暮らす感覚が遠くなりました。

 

離れて暮らす事。

 

インターネットでコミュニケーションを取るのと、実際に会ってコミュニケーションを取るのとは大きな差があります。

 

やはり離れて暮らしていると、親戚や友人との繋がりが薄くなっていくと感じました。わたしは本当に仲の良い深い関係の友人以外とは疎遠になっており、今更連絡を取る事が面倒に感じている人が何人もいます。時には仲の良かった友人と実際に会ってみると「何か違う」「変わったな」と溝を感じる事も有ります。

 

そして海外に居ると家族や友人の「冠婚葬祭」に出席しにくくなります。人によってはわたしが海外に居る事を気遣って連絡をして来ない人もおり、FBやTwitter、知り合いを通じて知る事もあります。

 

自分が海外で生活をしている間に、家族や友人達も同じように時間を過ごし、年を取っています。

 

離れて暮らしている分親戚や友人など、繋がりが薄れていってしまう事は確かです。

 

長期海外生活や海外移住をされる方は、是非一度日本に残す家族や友人について考えてみて下さい。

 

わたしは日本との距離に比例して繋がりのある人物と疎遠になっていく傾向にあるように感じています。

 

最後に

全ては自分次第。

 

離れて暮らしていても出来る親孝行は有ります。

 

友人や知り合いとの繋がりを保つ事も出来ます。

 

日本に残す人たちとどう関わっていくのか、繋がりを保っていくのか、全ては自分の行動次第です。

 

しかし困った時に手を差し伸べてくれるのは、自分が大切にして来た家族や友人のみだと感じています。

 

おすすめぇえええ(^ω^)ミテネ!

中原夜市グルメ「老師傅牛肉麵」の牛肉麺が美味しい!

ベトナム人男性から学ぶ、モテる肉食系男子の極意